大塩平八郎の乱と屋久島の意外な繋がり。

先日、VTR録画していたNHK BS歴史館「大阪から江戸を撃つ!真説・大塩平八郎の乱」という番組を観ていたら最後に意外な落ちが出てきました。

大塩平八郎の乱とは、江戸時代後期、天保の大飢饉などにより百姓一揆が多発していた天保8年(1837年)、大阪町奉行所の元与力大塩平八郎が、町奉行所の不正や幕府の一大詐欺事件を告発して命懸けで武装蜂起した事件でした。

「救民」の旗を揚げ300人程の大阪町民が決起したのですが、内通者がいて奉行所側に察知され半日で鎮圧されてしまいます。その後大塩平八郎は、火薬を使って自決、処罰された者は750人にも及んだそうです。
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この乱に加わった橋本忠兵衛の子、松次郎(13才)が屋久島へ流刑され、その子孫の方が島の北西、永田の地でお墓を守っていらっしゃるということなのです。

島に流刑者が来たという話は知っていたのですが、この事は初めて聞いた話でした。意外な繋がりです。まだまだ知らない事は沢山あります。

松次郎の他数人もこの事件の関係で屋久島へ来ているみたいです。
http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/masano5.htm
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幕府に反抗した大塩平八郎の乱は、幕府に不満を持つ人々に”幕府は刃向かえるもの”という選択肢を心に芽生えさせ、これが30年後の明治維新へ繋がったと考えると大きな事件だったのでしょう。
by office-manatsu | 2014-01-25 16:45 | 真津 昭夫
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