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畑の小さな発見 -畑ジャーナル6

こんにちは、たねっこクラブのひろこです。

屋久島は春です。鳥がさえずり、新緑が展開し、花が咲き・・・。
春は浮き浮きするくらい、生命の活動がさかんです。
畑をやっている者として、春は待ち遠しく楽しみでもあります。
3月中旬に、さまざまな苗を作りました。
するとおもしろいことがわかりました。

去年ブログでも紹介した、「レモンキュウリ」の種を去年自分で採ったのですが、
今年もその自家採取種と、去年の残りの種(市販品)を同じ条件で別々のポットにまいてみたんです。
すると、自家採取の種はすくすくと育ち、本葉も出始めました。
一方、市販の種は、虫に子葉を食べられてしまい、無惨にも茎だけしか残っておりません。ポットは、隣同士においてあるのにもかかわらず、虫は市販の種のほうをここぞとばかりに食べてしまいました。

これはおもしろい経験でした。いろんな要素が絡み合って、
はっきりと断定はできないと思うのですが、2年目の自家採取種はこの屋久島に「適応」したのではないか?とにらんでおります。

自分で種を取り始めた当初は、本当に育つだろうか?と自分の種に自信がなかったのですが、今回のこのレモンキュウリの一件で、なんだかうれしくなってしまったひろこです。

種を採っていくと、自然のストーリーが見えてくるようで楽しいです。
この土地で芽を出し、大地から栄養をもらい、育ち、そして種になり、
次の春を待つというサイクルが完結し、「また来年も一緒に育とうね」と
愛着さえわいてきます。

そんなレモンキュウリ、今回はどんな風に育ってくれるかウキウキの今日この頃。
by office-manatsu | 2006-03-31 17:33

環境と開発2

ひろこです。
また引き続きこのテーマでブログを書きたいと思う。

台湾での環境汚染について、何とも言えない感じをずっと引きずっていたときに、
前回もご紹介した本(『ラダック、懐かしい未来』)の中で著者が言っていたことに強く共感を覚えた。

ラダックの人々がいかに持続可能なサイクルで生活を営んでいたかを紹介した後、
近代化、工業化、西洋化の波が押し寄せて変わってしまった彼らの生活を前に、
「ラダックの人たちがどん欲で利己的になったり、今まで汚染されていなかった清流にゴミを捨てるようになったことに対し、責めるべきは彼らの人間性ではない。こうした変化の根は人々を分断し、土地から切り離してしまう技術的、経済的な力とより強く関係している」。
という言葉だった。

確かに、経済成長に伴う人々のモラルの荒廃は、その人々の人間性に問題があるのではなく、もっと根本的な問題なんだと納得した。(台湾にしてもそうなのだろう。)

「価値」はお金が多いか少ないかということで決まってしまうこの社会の風潮に、
私はとても疑問を感じる。
ラダックの人が陥ってしまった状況は決して私たちにとっても遠い世界ではないはず。

従来の開発によって、モノカルチャーが奨励され、グローバルビジネスが世界の地域に及ぼす圧力は多大であり、私たちはその経済に荷担しているということを忘れてはいけない。その代償として、自然が犠牲になっているということもすでに周知の事実だ。

私たち一人一人が「このままではいけない」という疑問をもつことが大切だと思う。

それからどうしたらよいのか?
例えば、近くのもしくは自分の畑で採れた健康な野菜を食べ、生ゴミや風呂を焚いた薪の灰はまた畑のコンポストへ。洗剤は環境に配慮した物を使う。まい箸を使う。ゴミを拾う。etc..
挙げれば小さな事だけれども、他にも沢山のことが私たちの生活の中で出来るのだ。
そいうったひとつひとつの自分の行動が、グローバルに観てどのように社会に影響を与えているのかということをしっかりと考えていく。
それが自然と共存する一番シンプルで確かな方法だと私は思う。

世界は大企業や国の売り物じゃない。
多様な文化・環境があってこその世界なんだと思う。
その多様性を持続していけるような社会を、私たちの世代は創っていきたい。
by office-manatsu | 2006-03-27 17:23

私の通勤路

こんにちは、あやこです。
昨日今日と朝から雲ひとつない青空の屋久島です。

私が今住んでいる平内から事務所へは、徒歩20分程で通える距離なので
時々歩いたり自転車で通勤しているのですが、移動のスピードがゆっくりになると
普段車からは見えないものが目に止まります。

先日、目にとまったのはてんとう虫。
その後、目にとまったのはれんげ。
花を摘んで家に飾ろうか、などと思っても
車に乗っているとそのまま通り過ぎてしまうことがほとんどですが、
この時はすっと手が伸びます。

c0061008_1629497.jpg日が落ちる時間も次第に遅くなってきているので、家に向かって歩いていると
ちょうど、その頃にオレンジ色の大きな太陽が沈んでいくところもゆっくり見れます。
夕焼けでオレンジ色に染まる山の色。淡い桃色になる雲の色。とても好きな時間です。

私は来月から、隣の隣の「尾之間」という集落へ引っ越します。そうすると、徒歩や自転車での通勤はすこし大変になるので、後2週間。出来るだけ、今の通勤路を歩こうと思います。

あなたの通学路・通勤路では、今、何が見えますか?
by office-manatsu | 2006-03-20 16:40 | 旧スタッフ

環境と開発

「みんなが裸になってネアンデルタール人のように暮らすべきだ」
と言っているわけじゃない。
「空気や水を損ねるだけではなく、人間同士が傷つけ合うようになる
物質主義から脱却していくべきだ。」   ー シドニー・ポスエロ

たまたま数年前のナショナルジオグラフィックを読んでいたら、
シドニーポスエロさんのアマゾンの先住民調査のレポートが載っていた。

彼は、FUNAIという国立インディオ保護財団の総司令官を務めている人物だ。
以前貧困地域の村落開発に興味を持っていたころに私は彼の活動を知った。

今から約10年前に、タイの山岳少数民族の村にトレッキングに行ったことがある。
興味本位でのことだった。
その村は、観光化されていて、村人は私たち観光客を手厚くもてなしてくれた。
村の小屋に寝泊まりし、余興を見る。帰りに村人たちは工芸品を売る。
村では鶏や豚が地面を歩き、畑があり、水は沢、電気はない。
そんな生活で、現金収入がなぜ必要なのか・・・。
帰り際の工芸品と現金のやりとりを見ていて、
疑問が残ったりもした。

それから、数年後に何度もバンコクを訪れる機会があった。
驚いたことに、観光客の集中する通りで、以前私がトレッキングに行った少数民族の
人々が工芸品を売り歩いているではないか。
あの村で入る現金収入では足りなくなってしまったと言うことなのだろうか。
あの村にも、急速に貨幣経済の波が押し寄せているのだった。

シドニーポスエロは、
アマゾンに住む原住民がどんな神を信仰して、どんな言語を話すかということを
知らなくてもよい。我々の存在も相手に知らせる必要はない。
ただ、守りたいだけだと言った。

私たちが接触することで急速に代々続いていた習慣が崩れ、
その文化が死んでいく・・・極端な言い方かもしれないけれども
それは現実に起こっているのだ、とバンコクの町を歩く民族衣装を身にまとう村人を
見て思ってしまった。彼らが手に入れたい現金と引き替えに、何が犠牲になり、
何が豊かになったのだろうか。

いろいろ考えていると混乱してくる事柄ばかり。
台湾の環境について、いろいろと考えていたら、今回はこの話に行き着いてしまった。

ちなみに、今私は、
「ラダックー懐かしい未来」
という本を読んでいます。
押し寄せる近代化と開発の波の中でヒマラヤの辺境はどこへ向かうのか。
環境と地域社会の未来について書かれている本です。
ここにまだ違う世界が存在していることを知らせてくれていて、ほっとする本です。

どうもうまく説明はできませんでしたが、
今日はこれまでにします。

ひろこ
by office-manatsu | 2006-03-07 15:20

明日はひな祭りです。

c0061008_17503111.jpg
こんにちは、あやこです。明日は3月3日、桃の節句ひな祭りです。
一年に一度だけ顔を見せるお雛様。あなたは飾っていますか?

私は三人姉妹なので、実家では毎年七段のお雛様が飾られました。
そして、その横で三人並んで写真を撮るのが恒例行事だったのです。

お内裏様にお雛様、五人囃子に三人官女・・・。
登場人物を差し置いて、私が好きだったのは
下から二段目のお茶棚セット(お茶を立てる為の小さなお椀などが棚に置いてある)
でした。小さい小さいひしゃくを使って、小さい小さいつぼから水をくみ取る。
私にとっては期間限定の大切なおままごと道具でした。

桃の節句は、元々は「上巳(じょうし)の節句」といって健康と厄よけを願って
行われたり、着せ替え人形の「ひいな遊び」と融合されて、
自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」に
発展したり・・・と形を変えて、今に至ったそうです。
七草がゆやひな祭り、端午の節句に七夕。季節の節目となる節句の日。
健康に元気に過ごそうという昔の人の知恵なのだと思います。

家を出てから、うちには七段のお雛様はいませんが
両親手作りのお雛様がかわいく並んでいます。

あなたはどんな風にひな祭りを過ごしますか?
by office-manatsu | 2006-03-02 17:59 | 旧スタッフ